第一次世界大戦の開戦(1914年7月28日)を象徴する作品として名高いのが、イギリスの作曲家エドワード・エルガーが作曲した行進曲『威風堂々』第1番(1901年10月19日初演)です。中間部の美しい旋律に歌詞が付けられた『希望と栄光の国』は第二の国歌として親しまれ、開戦直後の1914年8月にイギリスが参戦すると愛国心を高揚させる象徴的楽曲として全土で盛んに演奏・歌唱されました。開戦の熱狂と、その後に続く凄惨な戦争への歴史的転換点を象徴する音響として、今なお開戦当時を回想する文脈で深く記憶されています。

もとは戴冠式用に作られた曲でしたが、大戦の勃発により国民の戦意高揚や結束を図る重要な戦時歌謡へと変化しました。大英帝国の威信と繁栄を誇る壮大なメロディは、戦地へ赴く兵士や銃後の人々を力強く鼓舞した一方で、長期化する戦争による甚大な犠牲とナショナリズムの影を現代に伝える歴史的楽曲でもあります。

『威風堂々』第1番は初演時から異例の大反響を呼び、聴衆の歓声に応えてアンコールが3回も繰り返されたという伝説を残しています。指揮者のエドワード・エルガー自身もこの旋律の持つ力を強く確信しており、友人に「生涯に一度あるかないかの最高のメロディができた」と語ったとされています。さらに、この中間部の有名な旋律は後に国王エドワード7世の提案によって歌詞がつけられることになり、それが国民的愛唱歌「希望と栄光の国」となりました。現在でもイギリスの夏の風物詩である音楽祭「プロムス」の最終夜では、会場全体が大合唱する熱狂的なクライマックスを演出しています。

大戦中、この曲の壮麗な旋律に鼓舞された若者たちが熱狂と共に次々と志願し、惨烈な戦場へ赴いて命を落としました。作曲者エルガー自身は平和主義者であり、純粋な音楽として作った旋律が「若者を死地へ追いやる戦意高揚の道具」として利用されたことに深い苦悩と自責の念を抱いたといいます。さらに皮肉なことに、歌詞にある「帝国はより広く誇り高く」という繁栄の祈りとは裏腹に、大戦を境に大英帝国は衰退の道を辿りました。栄光を称える曲が帝国解体の序曲となり、多くの若者の命を奪うきっかけとなった点に、この曲の悲しい歴史が残されています。